温暖化で紅葉を楽しむのは少し先となりそうですが、
既に国内外の観光客で溢れかえっている、こちら京都です。
路線バスにスーツケースなどの大型手荷物持ち込みを減らそうと、
専用コインロッカーを用意したり、
中心部へマイカーの侵入を規制するため、
駐車場を入庫禁止や予約制にして、混雑緩和に躍起です。
嵐山は、春は桜、秋は紅葉と、風景が美しい場所であると共に、
近くに、東映太秦映画村や松竹京都撮影所が存在し、
時代劇撮影のメッカでもあります。
皆様は、嵐山にあるお寺の山門や、竹林の風景を無意識に目にしているのです。
そのような時代劇ですが、灯火は消えつつあります。
京都で撮影される連続時代劇が少なくなり、
地元では、長い歴史の中で培われたノウハウを絶やすまいと、
復活の声が待ち望まれています。
時代劇は、歌舞伎の影響を受けて生まれ、特に時代劇の定番である、
「チャンバラ」は、歌舞伎の演目から取り入れられたといわれています。
歌舞伎は、古くからの大衆芸能のひとつであるでありますが、
その歴史は脈々と続き、日本の伝統芸能となっています。
明治になり外国文化が入ってくるまで、
歌舞伎は日本の大衆芸能として絶大な人気を誇っていました。
「アイドル」や「スター」も生まれたそうですから、
映画スターに熱をあげる、現代のファンとなんら変わりがないといえます。
大正に入ってから、歌舞伎を支え続けているのが、
映画、演劇興行を行う、松竹です。
現在は建て替え中で閉館していますが、歌舞伎座を有し主な上演場所とするほか、
各地での興行も一手に取り仕切っています。
創業者 大谷竹次郎氏は、興行相撲で、お茶やタバコの販売、
貸し座布団商売を行う父の下に生まれます。
父は、商売の場所を劇場に移し、その後売店の経営を始めます。
19歳のときに、父から権利を引継いだのを契機に、
次々と京都の劇場を手に入れます。
大阪に進出して、上方興行界を支配したかと思うと、
さらに、東京に進出して大手劇場を買収し、
歌舞伎座も大正2年に手に入れることとなります。
映画の時代に移り、松竹も軸足をそちらに移しますが、
歌舞伎の興行については、独占的な窓口となっています。
大衆芸能と称されるものの多くが、一時のブームとして消えていく中で、
このように長い間、歌舞伎が受け継がれていけたのは、
大きなスポンサーの後ろ盾があったことが大きいといえます。
加えて、「○○屋」というスポンサーのブランドとなる、
ブランドをつけてもらうことなり、
役者ごとの個性を引き立たせることができたのです。
時代劇が、その時々の観客に受けが良いようアレンジされすぎて、
形骸化してしまったのとは対照的です。