スマホが普及し、常に小型コンピュータを持ち歩きできるようになりました。
電波が届く場所なら…必要なアプリをタップして操作すれば、
わからないことや難しいことは、
いとも簡単に「答え」を見つけられる時代になりました。
電卓が登場する以前、簡単な足し算なら暗算は出来ても、
掛け算や、割り勘の計算など、そろばんの経験者でないと、
計算でさえ難しくなるとお手上げでした。
皆さんは、「関数電卓」というものをご存知でしょうか。
数学や科学で使う難しい関数計算機能を豊富に備えた高性能な電卓で、
海外ではサイエンティフィック(科学)電卓と呼ばれています。
パソコンが登場してくるまで、
関数電卓はコンピュータの計算機能を凝縮したようなもので、
マンパワーでは何時間も係るような計算が、
ボタンひとつで答えが解り、大変重宝されたものでした。
日本では、主に大学で利用されていますが、
世界では中学や高校の授業に使われることも多く、
アメリカでは試験での利用も許されているそうです。
海外の教育現場では、複雑な計算は機械に任せ、
問題解決する能力を高めることに力点をおいた授業が増えているそうです。
そんな関数電卓は、海外向けが全体の9割を占める商品となっていて、
カシオ計算機では、欧米に比べ普及率の低い
東南アジアやアフリカ向けの販売に力を向けていてるそうです。
同社の創業者 樫尾忠雄氏が事業を始めたのは、
先の大戦後の不況にあえいでいた46年(昭和21年)のことです。
小さな町工場であるがうえに、下請け仕事に頼るばかりで、
日々を一生懸命働き、食いつないでいくのがやっとでした。
見かねた兄弟が、力を貸したいと言ってきて、
4人で工場を切り盛りすることになります。
そして、このまま下請け仕事を続けるだけではいけないと、
自社商品を開発することに意見がまとまります。
とは言っても、材料も不足していたし、技術力もなかったため、
手軽に開発できそうな、家庭様の電熱器や自転車の発電ランプなど、
手当たり次第に作っていったのでした。
どれも最初は売れるものの、世の中が落ち着いていくにつれ、
売れ行きが鈍っていきます。
大手の真似したような商品を作っていても、生き残れないという思いから、
奇想天外な商品を作ろうと一致団結したのです。
しかし道のりは、予想していたとおり険しいものでした。
新しい計算機の開発に挑戦することにしたものの、
お金もなく、設備も乏しい中で試行錯誤が続きます。
開発から3年経った54年、機械式の計算機が主流であった当時、
リレー式の計算機の完成にこぎつけたのでした。
こうして、カシオ計算機が誕生し、電卓を先駆けに、
数多くのヒット商品を生み出すことになります。
第一に、より多くの人に喜んでもらえること、
第二に、新しいマーケットを創造すること、
今も変らない基本理念が、新しい商品を生み出します。