ライセンスビジネス。
古くはサンリオが行ってる、オリジナルなキャラクターを
他社に使ってもらい、使用料を得るビジネスモデルが有名なところです。
デジタル技術の進化により、様々なものが知的財産権として価値が高まり、
最近では、ソニーや任天堂もこの分野に力を注いでいます。
私が社会に出た頃は、
アパレルを中心に欧米のブランドのライセンス商品が多く販売されていました。
直輸入品は高くても、日本製のライセンス商品であれば、
かろうじて手の届く価格だったので、
ブランドのロゴマークを見せびらかすため、競って買ったものでした。
当時、アパレルや雑貨品など、ファッション関係の商品を扱う企業の多くは、
海外ブランドのライセンスを買取り、売上を伸ばしていました。
バーバリーのライセンス商品で、一大ブームを巻き起こした、
アパレルメーカーの三陽商会もその一つです。
しかし、このようなビジネスも半世紀が経ち、
ライセンスの更新が出来なくなると、売上の大半が欠け落ちる結果となります。
日本企業は、モノづくりには長けていますが、ブランド作りは得意とは言えません、
ライセンスを作る方、使う側、どちらにしても長期的な視線が必要となります。
石油販売会社の経理をしていた吉原信之氏が、
独立して手がけたのは切断砥石の販売でした。
終戦の混乱期には、軍から出た廃材に目をつけ、
防空暗幕や風船爆弾用の紙、スポンジなどを売りに回りました。
暗幕は服に仕立て上げ、風船爆弾用の紙は子供用の雨合羽へ、
スポンジはボールに加工しました。
どれも、廃材だけにいつでも手に入るというものではなく、
量にも限りがあったため、商売には向いていませんでした。
ある時、少しではあるものの、
絹(オイルシルク)を手に入れる目処がつきます。
やっと、継続的に仕入れることが出来る商品にめぐり合い、
この生地を使ってレインコートを作る商売をしようと決意したのです。
最初の頃、レインコートをデパートへ営業に出向くと、
決まって、担当者から製造元のブランドでは困ると条件をつけられました。
吉原氏は、「製品に責任をもちます、お店に迷惑をかけません」と、
何度も説得を繰り返し自主ブランドでの納品に漕ぎ着けたのです。
商品の良さが顧客の目に留まり、三陽商会はコート業界ではトップとなり、
コートの「サンヨー」として名が知れ渡るようになります。
そして、レインコートを「雨よけ」の実用品から、
ファッション商品の仲間入りをさせたのです
一方、このままでは小さな商売に終わってしまうという危機感から、
早くから、海外の有名ブランドと提携することを考えます。
その理由は、「いろんな人の知恵と手をつかってやっていく」
ことだと語っています。
自社以外のブランドという力を借り、
自分では出来ないことを行って事業を発展させていったのです。
原動力となったのが、海外ブランドのライセンス商品でした。
こうして、レインコートから出発した「サンヨー」でしたが、
スーツ、ドレス、カジュアルウエアにアイテムを増やし、
アパレルメーカーと成長していくのです。
三陽商会では、バーバリーの後継を目指す新ブランドで、
ワンピースやブラウスに撥水加工を施した新商品を発表するなど、
得意分野のノウハウを利用して、認知に向けて力を注いでいます。
また、「100年コート」と銘打って、国内の縫製工場で製作し、
専用に選んだ生地で、ボタンは手作業で付けられています。
しかし、大きな看板を失った損失は大きく、
リストラや経営陣の交代等、前途多難な経営が続いています。