世の中を風刺したものや、人生の悲哀を語ったものなど、
各方面で面白い川柳が募集されています。
某生命保険会社が行っている「サラリーマン川柳」が代表格と言えますが、
私たちの分野でも、会計川柳や税金川柳というものが募集されています。
作品は、この業界にいないとわからない専門用語が盛り込まれ、
少々マニアックともいえますが、クスッと笑えるものであります。
もう募集はしていないようですが、某靴下メーカーが行っている、
「足クサ川柳」というものがありました。
テレビドラマ「陸王」のヒットのお陰で、注目を集めた足袋。
とはいえ、洋装が一般化した現在では、
着物や浴衣姿の時にしか身につけないというのが実情です。
ドラマどおり、生産者は減る一方で、
そのなかでも国内トップのシェアを保っているのが福助です。
裃を着た人形がトレードマークの福助は、
足袋の製造販売では120年以上の歴史を誇り、
それまで手縫いであった足袋を専用のミシンを開発して、
機械縫いの分野で成功を収めます。
一時は広告宣伝にも力を注ぎ、昭和の初期には、
東京、大阪、福岡に電灯広告塔を建設して世間の人を驚かせました。
洋装化の流れから戦後は製品の中心を靴下に移行しますが、
そのほとんどが有名ブランドの名前を付けたライセンス商品で、
自主ブランドはほとんど無く、販売生産を請け負っている状態だったのです。
90年代に入ると業績は下降し2003年には遂に、
経営破たんしてしまったのです。
再建に名乗りを上げたファンドから送り込まれたのは、
某百貨店で敏腕を振るった敏腕バイヤーでした。
改革に手をつけた彼が驚いたのは足袋だけで600円台から1万円まで、
なんと300種類以上あったのです。
その結果、在庫は75万足にも達し、資金の負担となっていたのです。
長年、下請けに近い状態に甘んじていたため、
ミスを恐れる体質がそうさせていたのです。
販売先の要望を聞き入れることが、良いことだと思い込んでいたのです。
彼が持ち出したキャッチフレーズは「進化する老舗、福助」でした、
いい所は残しつつ、自分達で自立して行こうという思いの現れだったのです。
その改革のひとつとして、自主ブランドを立ち上げることに手をつけ、
現在では「フクスケ」の名前を冠したブランドや、
人気モデルとのコラボレーションによるブランドなど
数多くのブランドの商品が販売されるに至っています。
大手企業には当然の如く、「経営方針」がありその中に必ず
企業理念なるものがあります。
失礼ながら、お飾りのようなものも数多くあるのですが、
その言葉の中に、会社の理想とする姿(イメージ)が
ちゃんと織り込まれていないといけません。
言葉が先でなく、理想とするイメージが大切なのです。
「俺の背中を見ながら付いて来い!」だけではダメですよね。