お正月の前後1ヶ月の間、テレビ番組を見ていると、
日ごろ見たことのない会社のCMを目にすることが無いでしょうか。
この時期は、CMの放映料金が安いからかなと思っていましたが、
理由はそれだけではないようです。
こちら京都では、地元銀行の 「ながーい、おつきあい。」というCMが、
長く続いていて、文字通り長く親しまれています。
また、村田製作所のCMもずいぶん長く放送されています。
以前には、ロポットと異星人的な女の子が登場する
ちょっと変わったCMが作られていました。
どうして村田製作所が正月にCMを多く流すかというと。
過去に、社員が帰省した際、「○○製作所」という社名から、
町工場に勤めていると勘違いされ、気まずい思いをしたことが多くあり。
知名度を上げることを考慮してのことだそうです。
京都にある電子機器メーカーの村田製作所は、
セラミックコンデンサーの分野では世界に屈指のシェアを誇る会社です。
創業者である村田 昭氏が家業の陶磁器類の焼き物製作を引き継いだ時には、
一般的な陶磁器や絶縁体に使う碍子を作っていました。
戦時下における政府の統制により、同業者を集めてひとつの会社とする
企業合同体制を敷かれていたときのことです。
財閥系のメーカーから、特殊陶器を製作する依頼が入ってきたのですが、
業界が伸びるチャンスと見る村田氏に対して、
他の同業者は首を縦に振る気配がありませんでした。
そこで、手持ちのお金をはたいて工場を借り、
単独でその注文の製作に取り掛かったのです。
しかし、陶器を焼くための燃料の調達に手をこまねいている間に、
メーカーから返ってきたのは「別に工場を作ってしまった」とツレナイ返事でした。
その代わりに紹介されたのが、セラミックコンデンサーの製作だったのです。
その時に知り合ったのが、京都大学のある助教授でした。
終戦後の混乱期の中で、売れるものは何でも作り、
その日を食いつなぐのが精一杯の時期でした。
助教授も研究費を捻出するため、
簡単な電気製品を作るアルバイトのようなことをしていたのです。
そこで、研究応援する代わりに、セラミックコンデンサーの開発に
協力してもらう様申し入れをします。
まもなくして民間ラジオ放送の開始により、
コンデンサーを多く使うラジオが普及し、
村田製作所は電子機器メーカーへと礎を築いたのです。
企業の草創期における出会いは、事業が大きく変化するきっかけとなります。
出会というのは、人の結びつきもそうですし、手がける商品の場合もあります。
特に、人との出会いは、お互いの良さを引き出す「触媒」の役割を果たし、
決して一人では成し得なかった、大きな実りをもたらすことになるのです。